奈良県桜井市が卑弥呼の里をアピールしています。
長きに渡って繰り返されてきた邪馬台国論争。
ホケノ山古墳墳丘上から望む箸墓古墳。
放射性炭素年代測定によって、箸墓古墳の築造年代が240年~260年頃に絞られてきました。
邪馬台国の女王卑弥呼の亡くなった年代と一致するだけに、卑弥呼の墓ではないかとする説がまた強まっています。卑弥呼っていう人は神がかりを行ったシャーマンです。今の日本では、呪術を行う能力があるからといって国を統治できるわけではありません。でも、当時の世界では、不思議な能力を持つ卑弥呼が統治者として君臨していたわけです。
全国有数の古墳密集地帯にある箸墓古墳
箸墓古墳は前方後円墳です。
巨大な前方後円墳。
三輪そうめん山本の本社前に箸墓古墳はあります。
国道169号線の東側に位置し、国道からは背景に三輪山が見えます。三輪山と箸墓古墳の関係も、神話の中で意味深に語られていますよね。
奈良や飛鳥に都のあった時代より、さらに日本の歴史を遡っていきます・・・国家が生まれる前の日本に想いを馳せてみます。
鬱蒼と茂る箸墓古墳の森。
藤原京が694年、平城京が710年・・・
本格的な国家体制のようなものが誕生したのが700年前後とするならば、本格的とは言えないまでも、日本初の都市国家のような機能が誕生したのは箸墓古墳の周辺であると言われています。纒向遺跡のことですね。
”日本の夜明け”とでも表現すればいいのでしょうか。
山の辺の道の西側には、大和を代表する古墳の密集地帯が広がります。
桜井市から天理市にかけて、箸墓古墳、西殿塚古墳(衾田陵)、景行天皇陵、崇神天皇陵、黒塚古墳などが散在します。黒塚古墳の資料館にも展示されていますが、この辺り一帯の航空写真を見れば一目瞭然です。
その古墳の多いこと!
箸墓古墳がその大元締めの役割を果たしています。