奈良の明日香村越で八角形の古墳が発掘されました。
牽牛子塚古墳(斉明天皇陵)ですね。
明日香村の牽牛子塚古墳。
斉明天皇とその娘・間人皇女(はしひとのひめみこ)が埋葬されています。
八角形は「宇宙の中心」を表す形とされます。天皇にのみ許された墳形であり、牽牛子塚の他にも舒明天皇陵(斉明天皇の夫)、天武持統天皇陵、文武天皇陵(中尾山古墳)などが知られます。

天皇象徴の八角形!豪族と差別化された古墳
近鉄飛鳥駅の西に位置する牽牛子塚古墳。
古墳築造初期には前方後円墳や方墳が定番でしたが、この頃には八角形の古墳が造られていたんですね。豪族との差別化が意図されたのでしょう。当時権力を維持していた蘇我氏などの豪族との違いを、その墳形によって誇示しました。
四方八方に支配が及ぶようにとの願いが込められているようです。
発掘調査の写真が掲示されていました。
八角墳を表す135度という角度。
平城宮跡でも拝観させて頂きましたが、天皇のお座りになられる高御座も八角形の形をしています。
シャーマン的要素を併せ持っていたという斉明天皇。国が乱れた際、雨乞いによって見事に民衆の心を掴むことに成功しました。神がかりを行うその呪術力は、酒船石や亀形石造物などにも表れています。

斉明天皇は初めて二度にわたって天皇に即位した人物であり、乙巳の変では既に皇極天皇として任務に当たっていました。蘇我入鹿の首が飛んだ場面にも居合わせました。天皇自身はその謀略を知らなかったことになっていますが、おそらくそんなことはないでしょう。知らぬ存ぜぬで通すだけの肝っ玉も持ち合わせます。天理から飛鳥まで通したという、ゴリ押しの運河突貫工事も斉明天皇ならではですね。
当時は大陸情勢も風雲急を告げる状況でした。
唐新羅の連合軍によって百済が滅ぼされ、倭国は大陸の脅威を感じるようになります。斉明天皇は自ら船に乗り込み、いざ大陸へ向かったと伝わります。やはり勇ましい女帝ですよね。斉明天皇が最期を迎えたのは、北九州の朝倉宮だったと伝わります。
私が宇宙の中心に居る。
八角形は天皇を象徴するキーワードのようですね。
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