十市遠忠は龍王山城主

長岳寺の下馬前にある道しるべ。

左の長岳寺方向へ歩を進めると、程なく龍王山へのハイキングコースに出ます。

「歴史と健康の道」と称される長岳寺ルートですね。

龍王山には南城と北城があり、2箇所に別れながら互いに呼応し合って一つの城を形成するという、別城一郭の構えを成しています。龍王山城主の十市遠忠(とおちとおただ)は、歌人としても有名な室町時代の武将です。

武勇に優れ、歌道や書道にも通じていました。

十市遠忠の和歌を収めた「十市遠忠百首」や「十市遠忠百番自歌合」はよく知られるところです。

<十市氏の関連情報>

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龍王山城の落城悲話

龍王山へ向かう道。

龍王山城跡は、長い年月にわたって原型をほぼ留める形で残されています。大和を代表する中世の城郭ですね。

城主の十市氏は、現在の奈良県橿原市十市町を本貫としていました。

遠忠の時代に全盛期を迎え、彼の死後は衰退の一途を辿ることになります。

1568年に、龍王山城は松永弾正の手によって落城するに至りました。

落城による悲話が今も残されており、雨が降り出しそうな夏の夜に、龍王山に向かって「ホイホイ」と叫ぶと城跡の方から火の玉がジャンジャンと唸りを立てて飛んできて、その人を焼き殺してしまうという伝説があります。

世に言う、「ジャンジャン火伝説」ですね。

ところで、橿原市にある十市(とおいち)という地名ですが、十市一帯が低湿地であったことに由来するんですよ。

「奈良の地名由来辞典」によると、十市は「和名抄」に止布知(とふち)と記載されているようです。

トフは低地を意味する地形語のタヲ(低地)のことです。市(チ)はチマタ(交通の要所)のチを表すそうです。

中和幹線が出来る前までは、八木方面から三輪へのアクセスは国道24号線の十市から東へ向かっていたのを思い出します。

長岳寺の山門脇には、十市遠忠の墓と云われる五輪塔があります。その傍らの石碑には、遠忠の歌が刻まれています。

えにしあれや 長岳寺の法の水 むすぶ庵も ほど近き身は

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